どうやら、長すぎていっぺんにアップロードできなかったみたいでね……こちらがパート2です。
だから長くなるのはほどほどに…というね(涙)
なお、パート1は
こちら
続きからお進みください。
どこの世界の誰でも、朝は慌ただしく過ごすことが多いだろう。時間の制限がある時点で、その時間をいかに有効利用するか、それが生活をするうえで重要になってくるのだから。しかし、そうそう簡単に物事の習慣というのは変えられないだろう。だから、学者たちは研究を続けているのだろうか。
実際の研究はどのように進めているのか。すこし昼間の様子を覗くとしよう。
学者街にはいくつかの売店や書店が立ち並ぶ。研究所や研究室が建ち並ぶエリアの一画には、主に研究に使うために取り寄せる品物を扱う店があり、にび色の長めの髪をアップにした女性学者、そう、テッシュ・ピジョンヌがそのドアに手をかける。からんころん、とドアについた古めかしいベルが木霊した。
「いらっしゃい」
「どーも、店長!頼んでた取り寄せ品、来たって聞いたんだけど」
「ああ、天使の庭の写真な。来てるよ」
「やりぃ、サンキューな!店長じゃなかったらもっと時間かかっただろうって思うと、おいらはヒジョーにありがたいね」
にかりと人懐こい笑顔を店長に向けながら、代金をカウンターに置く。店長はというとその細かいお金(そう、心なしか小銭が多い)を丁寧に数えた。初老の男性が丁寧に小銭を数えていく様を眺めながら、テッシュは天使の庭の写真が入っている封筒を掴む。これからこの庭の写真から、植相から物の配置まで、およそ庭というものを形成するすべての要素を洗いざらい導き出すのだ。
テッシュは外が好きだ。庭をいじるのが好きだ。だが、それ以前に美しい庭の条件を見つけたり、一見無造作に見えるオブジェの配置などに規則性を見つけるのが好きだった。だから造園学者になったんだろう、と言われればそれまでなのだが。
「はい、確かに」
ゆっくりと頷く店主に、テッシュはも微笑み返した。
「ところで店長、ものは相談なんだけど」
「なんだい?」
素っ気ない店長の言葉だが、それに騙されてはいけない。これは店長なりの親愛の情の表し方だ。
「この天使の庭、一般の人間でも1年に1回だけ見れるみたいなんだよな。で、チケットを発券してるらしいだけど、ちょいとそのチケット入手出来ないかなー、と思ってんだけど……やっぱり難しいか?」
話を聞いて行くうちに眉間に皺が寄り始めた店主の様子に、テッシュの声からも心なしか覇気が消えている。だが、店主はその問いかけには答えず、小さく頷いた。
「今年分のチケットは売り切れているらしい。来年のでよければまだ手に入るかもしれない」
「ま、マジか!?うおお、店長、頼む!ぜひその一枚のチケットを入手してくれ!」
ばちんと大きな音と共に顔の前で両手を合わせるテッシュ。そして拝むように頭を下げる彼女に、店主は頷いた。
「頑張ってみよう」
「恩に着るぜ、店長!」
からんころん
「いらっしゃい」
テッシュとの話に一区切りついたところで、ドアが開く。そこから入ってきたのは長い金髪を無造作にまとめ、白衣を着た女性だ。彼女はナーシス・ウーブ、人外の生き物を専門に治療する幻獣医者で、その鋭い薔薇色の瞳とは正反対な優しさを持っている。
彼女は怪我や病気に苦しむ人外の生き物を保護して治療することを主な仕事としており、彼女がその優しさから怪我や病気の幻獣たちを放って置くことが出来ないのは有名だった。だからこそ、調査先で傷ついた幻獣を見つけると、保護して彼女の所に連れてくる学者も出てきて、結果としてナーシスは常に忙しい日々を過ごしている。彼女にして見れば、本望かも知れないが。
「それじゃ店長。チケットの件、よろしくな!」
他の客が来たからとカウンターから身を引くテッシュに店主は軽く頷いた。テッシュとナーシスはお互いに「そういえばこういう奴もいたな」ぐらいの認識だろう。特に挨拶もなくすれ違い、テッシュは外へと出るためにドアに手をかけた。
からんころん
ナーシスはドアが開いた事を示すベルの音を背後で聞きながら、小さな店のカウンターへと足を進める。ナーシスは医者だ。幻獣や人外のヒト型を成す生き物を保護して治療するほかにも、治療法を開発するのに余念がない。人の医療の応用が出来ないか、他の種族に対しての治療を応用できないか、はたまたまったく別の治療のアプローチが無いか。急患を抱えていなければ暇さえ見つけて医療書を読み漁り、ヒントを探していた。
「今日はどうしたんだ?」
店主もふらりとやってきていきなり質問を寄越すナーシスには慣れている。この店には取り寄せたものの様々な事情で依頼主の手に渡らなかった物も多くあり、それを見に来る学者も多いのが特徴だ。ナーシスは所狭しと並べられたそれらの本の背表紙を眺めながら、店主の言葉に答えた。
「龍(ドラゴン)の子供が連れてこられたんだけど、私も治療したことが無いぐらいに小さい子でね」
「ふむ」
「保護区のレンジャーに密漁とか龍の卵が盗まれたとか、そういう情報がないか問い合わせてる最中なんだ」
ナーシスの視線は今も本の背表紙を眺めている。いつも物色している医療書の棚では無いのは今話している龍の子供のせいだろうか。
「どの龍なんだ?」
龍と一口に言っても、多様な種が生息している。まずはどの種なのか特定しなければならない。のだが。
「それが特定できないから、食べ物すらわからない」
ナーシスは心底困っているという表情を、店主の方に向けた。龍は生まれて数年経つまではうろこの色も牙などの特徴もあまり違いが無い。様々な幻獣たちの医者として龍にも多く接してきたであろうナーシスが困り果てて眉根を寄せるぐらいにはまだその龍が幼い事を示していた。
「どの種か分からなければ、どの餌を与えてやればいいのか……3年ぐらい経たないと違いは出てこないからな……」
通常、龍の親は子供を放置するという事は考え難い。なぜなら、龍は総じて知能が高く、人と会話する事も可能だ。さらに、古より生きる龍たちに助言を求めに行く学者も多くいるぐらいには博識である。だが、絶対数が少ないため、普通ならば龍の親は大切に子供を育てるのだが。
「それでレンジャーに問い合わせているのか」
「そう。私の見立てではあの子は産まれて8か月ぐらいだ。自分が龍であるという認識はあるみたいなんだが……人間の赤ん坊と同じで状況は全く分かって無いだろうからな。いったい、何を食べさせたらいいのか、それだけでも分かればあとは他の学者に任せてもいいんだが……」
小さく嘆息しながらナーシスは本の背表紙から店主に視線を移した。
「店長なら知ってるかと思ったんだ。どんな龍でも食べられる食べ物」
「……難題だな」
「……それは分かってる。私も知り合いの学者たちに聞き込んでいるんだ。それでも、分からない」
難しい顔で言葉を零す店主に向かい、ナーシスは頷きながら足も向けた。若干疲れがにじみ出ている彼女に、店主はカウンターから外に出て、椅子を勧めた。
「あんたは他の生き物も治療しているんだろう?あんたが倒れちゃだめだ」
「ありがとうな」
勧められた椅子に礼を言いながら腰掛けるナーシスに、店主は背を向けてマグカップを手に取った。今の彼女に必要なのは現状を少しでも愚痴ることだ。そう思っての行動だった。
「そもそも、なんで医者のあんたが龍の子の面倒を?」
「……翼を怪我していたんだ。翼がある龍ということで地龍や水龍じゃない、飛龍か火龍に属する龍ってことは分かるんだけど……それで翼を治療して食事をってところで問題に直面だ」
「翼の傷は?」
「まだ癒えてない。完治しても、飛べなくなってるかもしれない。それぐらいにはひどい骨折もしていたんだ……」
小さな龍の子の未来を案じるような声音のナーシスに、店主はマグカップになみなみとコーヒーを入れて手渡した。
「あまり案じるな」
「店長は本当に、優しいよな」
からんころん
「いらっしゃい」
店主のやさしい気遣いにわずかに笑みを見せたナーシスの背後で、扉が開いた音がした。
「あの、店長さん、すみません。この前頼んだ鱗が届いたって連絡を貰ったので」
「ああ、来てるよ」
店の中に入ってきたのは小柄な赤いショートボブを揺らしている、ソーワだ。色彩学者である彼女もこの店に取り寄せを依頼していた一人だった。ナーシスがコーヒーをすするカウンターの横へ来ると小さく会釈する。ナーシスもソーワに会釈をし返した。
「これで合ってるかね?」
店主は店の奥から1つの木箱を持ってきた。それを受け取りながら中を確認するソーワ。ナーシスの位置からもそれは大きな鱗であることが分かる。おそらく。
「なあ、それ、龍の鱗、だよな?」
黒く鈍い色に光るそれを見て、ナーシスはソーワに声をかけた。
「え?ええ、そうだと聞いていますけど」
カウンター前に座っている女性からいきなり声を掛けられたせいか、ソーワは一瞬驚いた顔をした。それから、訝しげな表情にかわる。手に持っている鱗を一見しただけで龍の鱗であると当てるほどの人物だ。警戒もするだろう。
「悪い。私は幻獣医者をやってるんだ。だから鱗は見慣れているのさ」
「そうでしたか」
「そうさ。それで、あんたは?龍の専門家だったりするか?」
ナーシスにしてみたら藁にも縋る思いだろう。龍の子の事がわからなくて店主に相談していたぐらいだ。だが、ソーワは首を横に振った。
「私は違います。色彩学者です。ただ、無彩色の中に何が見えるか、それを研究しているので……」
「あ、そうだったのか。それはすまない」
苦笑いとともに頭をかくナーシス。だが、ソーワはそれよりもナーシスの勢いが気になったようだ。
「いえ……あの、龍の専門家をお探しなんですか?」
「ああ……ちょっと龍の子供を治療しててな。それで助言が欲しいところなんだ」
「知り合いにも龍の専門家がいないか聞いてみます。その龍の子が早く元気になるといいですね」
「……本当か?それは助かる!ありがとうな」
ソーワの申し出に、椅子に座っていたナーシスは一拍の間を置いて勢い良く立ち上がった。そして店長にお代を渡していたソーワに向かい、頭を下げる。ソーワは緩く笑いながらナーシスに会釈してカウンターを離れた。
からんころん
ドアが軽い音を立てて開かれ、閉じられた事を知らせる。それを聞いてからナーシスは一気に残っていたコーヒーを煽った。
「店長、コーヒーありがとうな。旨かった。あと、龍のこと悪いけど言葉広げといてくれないか?今はどんな些細な助けでも欲しいんだ」
立ち上がりながらナーシスは言葉を紡ぐ。それに店主はマグカップを受け取りながら頷く。小さな命を、救えるものなら救いたいと思うのは人の性、だろう。
「分かった、何かあったら連絡しよう」
「恩に着る!じゃ、呼び出されたんで、これでな 」
ナーシスは白衣のポケットから振動している携帯を取り出すと、それに応えながら店のドアを開いた。
からんころん
外に飛び出したナーシスの姿を眺めながら、店主はマグカップを洗うためにカウンターから動こうとした。視線でドアをなでると、そのドアの前で尻餅をついている人物がいる。おそらく、ナーシスが外に出た時にちょうど店に入ろうとしていたのだろう。店主はカウンターの奥にマグカップをおいてから、店のドアを開いた。
からんころ
「中に入るかい?」
ドアを中途半端な状態で開いたまま、店主は尻餅をついている人に声をかけた。それに恥ずかしいからか、少し赤くなりながら、金髪を肩ほどの長さにしてパーマを掛けた女性は頷く。店主は女性に手を貸した。
「ありがとう、店長」
「どういたしまして」
ぶっきらぼうな口調の中に確かに優しさを感じて、神話学者である女性、パール・シュワーズはその黒い瞳を細める。この店の人気を支えるのは、店長の確かな腕とその人柄だろう。
パールは神話学者だ。その研究成果をまとめた書籍も出版しているほどに名の知れた学者でもある。古今東西様々な神話の書いてある書物を読み解き、独自の理論で様々な神話同士の接点を見つけるのを得意としていた。神話の中では世界の遠いところから思わぬ共通点がしばしば見つかる。それが面白いらしい。
様々な感嘆の声を受けるパールだが、彼女自身はそれほど大それたことは行なっていない、という認識だ。それこそ、人々から否定の言葉が飛び出しそうではあるが。
店内に先に入った店主は、カウンターの奥に置いておいたマギカップをまずは洗うことにしたらしい。パールはというと、積み重ねられた不思議な球体の一つに見入っていた。
「それで、どうした?」
この店には多くの常連客がやってくる。パールも常連客の一人だが、今日は特に目的があってきたわけではなさそうだ。
「息抜きに」
言葉少なく、しかし的確に自分の状況を説明したパールに、店主は「そうか」とだけ返してカウンターの中から先程ナーシスに手渡したマグとは別のマグにを取り出し、牛乳とコーヒーを一対一の割合で入れた。
「行き詰まっているとは珍しいな」
そう声をかけながらマグカップをカウンター越しに差し出せば、パールは淡く笑って受け取った。
「そうでもない。店長に好みのコーヒーの飲み方を覚えられるぐらいには、よくここに来てる」
簡潔な言葉の中に照れも含まれているだろう。ナーシスが座っていた椅子に腰掛けながら、パールはマグを両手で包み込んだ。
「今日はあの宝石学者と一緒じゃないのか」
「ルーン?うん、論文作成中だって」
一番初めにパールにこの店を紹介した宝石学者にも研究意欲の波がある。研究に没頭してしまえばかなりのスピードで論文など書いてしまうというのに、エンジンがかかるまでが長いらしい。同じ性質のパールとよく連れ立って『息抜き』をしているらしいことは店主の耳にも届いていた。
「息抜きついでに、知恵を貸してくれないか?」
「店長に?」
店主の言葉にパールは訝しげに顔をあげた。様々なものを取り寄せる学者街屈指の店の店主は、それだけ数々の学者に信頼されており、様々な学者に相談事をされている。自身も幾つか貴重な文献を見せてもらえないかと交渉する際に知恵を借りているパールだ。恩を仇で返すほど薄情ではない。しかも、そうして相談に乗って貰い入手した文献の神話が、自分のお気に入りとなった「金平糖と星の神話」ならばなおさらだ。
「私の知恵でいいなら」
しっかりと店主の方を向いて話を聞く態勢になったパールに、店主自身もマグカップにコーヒーを入れて(余談だが、砂糖を3杯ほど入れている)、カウンターの椅子に座った。
「店によく来る幻獣医者のもとに、生後間もない龍が運び込まれたらしい」
「それで?」
「竜の種類が分からないから、何を食べさせたらばいいのか、見当がつかずに途方に暮れていた」
「それで?」
「神話の中に、何か記述はないだろうか?」
パールはじっと店主の言葉を反芻する。生まれて間もない龍の子が食べそうなものの記述……随分とピンポイントだ。だが。
「神話は、半分はフィクションで半分はノンフィクション。だから鵜呑みにはできない」
店主はじっくりとパールの言葉を聞いている。パールは視線をマグカップに落としながら、言葉を紡いだ。
「それでもいいなら、私の文献を見直してみる」
龍と人の付き合いの歴史はながい。長命な龍にとっては瞬きのような時間しか生きない人だが、人は言葉と物語を通して、古の出来事を記録することができる。それでも、時間が過ぎ去った神話には虚偽が多く見受けられるのだ。それでも、見直してみる、とパールは言った。
「助かる」
「ううん、小さい龍が生きられる方が大切。それに、今煮詰まってる神話からのちょうどいい息抜きになる」
小さく笑みを作りながら淡々と言葉を紡ぐパールの瞳は優しい色をしていた。
そのまま、店主とパールは特に会話もなくコーヒーを飲む。静寂の中に確かに時を刻む時計の音が午後2時を告げた時、パールはマグカップをカウンターに置いた。
「コーヒー、ありがとう。龍のことは分かったら知らせる」
「ああ、頼む」
「だから、店長」
マグカップを受け取り、カウンターの奥に置くために体を捻ろうとした店長にパールは言葉を続けた。
「今度、ちょっと無理なお願いをしに来るね」
「……ああ、分かった」
にこり、と効果音がつきそうな笑顔を店主に送り、パールは店の外へ足を向けた。
からんころん
店主は1人、店の中に取り残される。今日持ち込まれた案件を整理する前に先ほどのマグカップを洗ってしまおう、と立ち上がった。
◇
学者達は実に有意義な1日を過ごしたようだ。夜の彼らはどのような時間を過ごしているのだろうか。日も沈んだ学者街の中でも展望が良い丘の上の噴水公園に佇む、パールの様子から覗いてみよう。
もの思いに耽っているのか、パールは満月を見上げる。噴水がさらさらと流れるその音をBGMに、何か気になる神話でもあったのだろうか。
夜の学者街の居住区、夜に活動する生物を研究するような学者達は昼夜逆転など当たり前、という勢いで研究している。実に熱心なものだな、と思わないわけではないが、パールにとっては星空は自分の好きな神話に想いを馳せる、重要な時間だった。
星空の神話はパールにとっての原点とも言えた。一番初めに研究テーマとして据えたこともあるだろうが、純粋に星が好き、ということもあるだろう。好きなことを研究する、それこそ本当の幸せ者だろう。
がさごそ
静寂に包まれていた公園で何かが動く音がする。もしもそれが獰猛な生き物だったら……と思い身を固くするパールを他所に、藪から出てきたのは白い帽子を被り、紫色の髪を緩く結っている女性だった。警戒心を解かないまま、パールは目の前に現れた女性に視線を送る。一体、なぜ藪から出てきたのか、と考えながら。
「いったいなあ……今朝の怪我が治ってないのがいけないのか……うーん、背中だし、自分じゃ手当できないぞ……。どうすれば……あ」
「誰?」
「い、いや、決して怪しいものじゃ……っ」
「怪しい」
「……ですよねー。あはは、私はスー・ポート。恋愛心理学者やってるんだ」
「パール・シュワーズ。神話学者」
「ちょっとね、今朝振られたらしい奴に今の気持ちを突撃インタビューしようとしたら背中を蹴られてさー」
「……」
「シュワーズさん、呆れてるでしょ?!私は真剣なんだよ、これでも」
夜の公園が急に華やかになった。スーの言葉に、パールは場所を変えて星空でも眺めようかと思い、立ち上がろうとした。
「あんれぇ?パールにスー?」
気の抜けたこの声が聞こえるまでは。
「おー、ルーン!聞いてよ、世の中の男ってひどいよね」
「ルーン……知り合い?」
両者とも知り合いであるルーンは眼鏡の奥の葡萄酒色の瞳をクリクリと回し、状況を把握しようとした。
「スー、ちょおっとまってね。パールの質問に答えるなら、スーは私の友達の1人だよぉ」
「そう。じゃあいっか」
「うん、問題はないよ」
立ち上がりかけたベンチに座り直し、パールは少し右にずれる。その空いた場所にパールは敷き布を手早くひいて、彼女にとって宝物である宝石の1つ、月光の雫石を上に置いた。それからスーの方を向き直り、眼鏡の奥からスーの事を観察した。
「それで、スーはどぉしたの?」
「よくぞ聞いてくれました!朝の奴にさ、失恋の気持ちを聞こうと思って突撃インタビューしようとしたら、蹴られてさ!朝落ちた時に痛めた背中だったから余計痛くって」
「うーん、スーらしいけどぉ……」
「けど?」
「手当てはぁ?」
「してない」
「バカがいるぅ」
「ちょっと、ルーン!バカって、バカって!」
木から落ちてよく無事だったな、と思うパールをよそに、ルーンはスーのことをバカ認定した。この気軽さから、ルーンにとって気のおけない友人の一人なのだろうことは、パールにも分かる。確かに、からかいたくなる気持ちも……分からない訳ではなかった。
「ちょっと待ってねぇ、幻獣医者呼び出したげる」
そう言いながら携帯を操作するルーンに、スーは首をブンブンと横に振った。
「いい!いらない!医者はいらない!」
「それは確実にいるでしょぉ……パール、スーが逃げないように……『もしもし?ルーン?』
「夜遅くにごめんねぇ、ナーシス」
『構わないけど、どうした?』
ルーンの電話から聞こえる声と同じ声が、スーには何と無く、聞こえた気がした。スーは悪魔であるからこそ、五感が人間よりも鋭い。しかし、パールには声が聞こえていないのか、ルーンの頼みを忠実に実行して、スーの腕を掴んでいる。離して欲しいと懇願したところできっと許されないだろう事はスーにも容易に想像できた。
『は?丘の上の噴水公園?今まさにそこに入ったところだけど』
「そうなの?じゃあ噴水の目の前にいるからぁ」
『分かった』
医者と話をつけたのだろう、ルーンは携帯をポケットにしまい込み、スーに笑顔を向ける。その笑顔は笑っているがとても怖いタイプのものだった。
「もうすぐナーシスが来るから。幻獣医者だから尻尾見ても背骨のゴツゴツ見てもおどろかないしぃ、慣れてるからぁ」
「ル、ルーンさん……怖いよ?!顔が怖いよ?!」
「ええぇ?そんな事ないよぉ、ね、パール」
「ルーンはいつも通りじゃない?」
「ほらねぇ!」
パールには満面の笑みを向けるルーンを恨めしそうに睨みつけながらも、スーは強行突破できないでいた。強行突破したらば最後、きっとテッシュ辺りに話が広がり、今以上に詰め寄られることになるだろう。そういう未来が見えそうな気がした。
「お、いたいた」
「ナーシス、ありがとねぇ」
「うんにゃ、あんたにはいろいろ助けてもらってるしな……あ」
「あ」
ナーシスが三人を見つけると、ルーンがお礼を言う。それに対してどうってことはないと答えたナーシスはパールの顔を見てバツが悪そうな顔をした。
「昼間、突き飛ばしちまって、悪かった」
「急患だったんでしょ?急いでたから、しょうがない」
「ああ……うん。だけど……言わせてくれよ。悪かったな」
パールの淡々とした言葉に、ナーシスははにかむ。知らないところで友人たちが知り合っていた事実にルーンは目を丸くしつつも愉快そうだった。
「んで、ルーン。手当が必要な悪魔ってのは、この人か?」
今だに腕をパールに取られているスーのことを覗き込み、ナーシスはまじまじと観察した。その視線に居心地の悪さを感じたスーは身じろぐ……が。
「あいたっ」
「背中痛めてるみたいだから、お願いしていいかなぁ?」
ルーンの言葉に、ナーシスは頷いた。
「背中の傷はそのままにしたらダメだからな。分かった、診てみる」
そう答えるとナーシスはスーの手を取った。
「え、どっか行くの?」
「背中じゃあここで見るわけにもいかないだろ?」
「じゃあねぇ、スー。お大事に~」
どこに連れて行かれるのか、恐る恐る尋ねるスーに対して、ナーシスはさっぱりと答える。ルーンはそんな去りゆく二人に手を振りつつ見送った。
「それで、ルーンはどうしてここに?」
「ん?月光の雫石を月光浴させるためだよぉ」
「そう」
「そういうパールは?神話について考えてた?」
「うん……ちょっと研究が行き詰まってて」
「そういえばぁ、そんな事昼間言ってたねぇ……」
ルーンは月光の雫石の位置を調整してから、自分もベンチに腰掛けた。その柔らかい光をこぼす満月を見上げながらパールに返事をする。
「でもねぇ、パール?行き詰まることも必要なんだよぉ?ずっと絶好調って、それはそれで疲れちゃうじゃん」
「それも……そうだね」
どちらともなく顔を見合わせた2人は、無言のまま満月を見上げた。
学者街の1日の様子、少しは分かっていただけただろうか。彼らは日々研究に打ち込み、友人との会話でやる気を導き、日々を生きている。彼らは今日も、世界の何処かにあるかもしれない学者街、ヴィル・デ・サバンで1日を過ごしているだろう。それぞれの想いを胸に秘めながら。
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